大学受験の勉強や高校の授業で困ったときは - 塾講師が教える受験勉強のコツや勉強法

2章 塾講師の解説

 

 

塾講師のアルバイトの教え方、マインド編です。

 

 

2章 解説

 

ニーズを考えよ

 

新人はとかく教科書の内容や順番に拘りがちだ
教科書というものが完璧なものであると信じているのか、逸脱することを恐れる。

 

 

しかし、教科書はわかりやすさとはおおよそ離れたところにあるものだ。
全ての項目を漏れなく解説することで、メッセージ性が薄れている。
何が重要なのかわからない

 

 

“解説”とは生徒の理解の手助けになるものだ。
事柄の列挙ではない
ときには思い切って内容をバッサリ落としてでも、分かりやすいものを目指さなければならない。
一貫したメッセージを軸に、そのメッセージを伝えるのに役に立つ内容だけを選び、1つ1つの授業を作っていくことが大切だ。
寄り道は理解の妨げになる。

 

 

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主観のない解説はつまらない

 

教科書がわかりにくい、そしてつまらない最大の理由は、あれが完全に客観的に書かれた文章であることだ。
いわば辞書に近い。
辞書を面白いと言えるのは一定以上の識者だけである。

 

 

我々が一般に何かについて知りたいとき、例えば観光名所について調べるとすると、最も参考になるのは人の書いたブログである。wikipediaではない
ブログはほとんどが主観で書かれた文章だ。
読むとワクワクし、自分もその場に行ってみたいと思わせる力がある
教科書がもし主観に満ち溢れていれば、それが正しいかどうかはさておき、もう少し読んでいて楽しいものになるのではないだろうか。

 

 

我々の“解説”が目指すべきはwikipediaではなくブログである。
客観的すぎると眠くなる。
授業の合間に雑談を挟むのは、この主観の力に頼っていることがほとんどだ。

 

 

数学に主観を入れよというのは難しい要求だから、数学以外の内容に逃げることになる。
何も数式に主観を混ぜよと言っているわけではない。
「これは覚えにくい」だとか、語呂合わせだとか、余談だとかが主観にあたる。
生徒がどうでもいい話ばかり覚えるのは、雑談にしか主観が混ざっていないことが原因だ。
「この単語の綴りは、よく勘違いしてこう間違える」だとか、何とか内容に関わる主観を混ぜる努力で少しは解決できる。

 

 

わからなくても解ける

 

問題というのは、単元を全て理解していなくとも解けるものだ。
むしろ理解できている人間の方が少ない。
講師ですら、わかっているつもりなだけなことが多い。

 

 

問題が解けるようにするために、全てを理解させる必要はない。
実は「わかる」というのは「解ける」の後の段階である
何となく公式に代入すれば、理由はわからないが、“解ける”。
こう書けば、よく知らないが、丸がもらえる。そんなものだ。

 

 

解説の組み上げとしては、まずわかるよりも解けることが大切だ。
“わかる”を最初に目指すと壁が高すぎることが多い。
“解ける”の階段を登ってから、初めて視界が広くなり、“わかる”のだ。
これについては予習の項(3-3)でも再度触れる。
もちろん、一度のジャンプで飛び越えられそうな壁であったり、跳躍力の高い生徒なのであれば、最初から“わかる”の壁に向かうことはいいことである。
毎回高飛びを試みなくてもよい、というだけだ。

 


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